カルトクイズ

問題1

この度、栄えある日本天文遺産第1号に認定された「日新館天文台跡」がある場所は何処?

1、日新町 2、米代1丁目 3、山鹿町 4、河東町

問題2

日新館天文台跡は昔、ある施設の一部として作られた天文台の遺構です。さて、そのある施設とは何でしょう?

1、日新館 2、稽古堂 3、鶴ヶ城 4、諏方神社

問題3

日本天文遺産第1号には日新館天文台跡の他に国宝指定の日記が選ばれました。その日記とは何でしょう?

1、明月記 2、伊能忠敬測量日記 3、天地明察 4、土佐日記

問題4

日新館天文台跡には現在、ご神体の無い祠が建っています。この祠に祀られていた神様は何でしょう?

1、天照大神 2、保科正之 3、妙見菩薩 4、建御名方神(タケミナカタノカミ)

問題5

会津若松には大日本地図の作成で有名な伊能忠敬が訪れ、天体観測を行っています。さて、その時伊能忠敬が天体観測を行った場所は何処でしょう?

1、鶴ヶ城 2、日新館天文台 3、滝沢峠 4、菊池さん宅

問題6

日新館天文台では、ある天体観測器具を用いて天体観測を行った記録が残っています。その、記録にある天体観測器具とは何でしょう?

1、望遠鏡 2、双眼鏡 3、象限儀 4、圭表儀

問題7

日新館天文台で観測が行われた記録はありませんが、日新館天文台が使われていた1853年にとても珍しい天文現象が発生したと大正時代編纂の会津年表に記録されています。その天文現象とは何でしょう?

1、流星雨 2、皆既日食 3、彗星 4、オーロラ

問題8

日新館天文台跡は明治30年頃から昭和初期にかけて修復が行われ現在に至っています。この修復により、日新館天文台はどのように変わりましたか?

1、大きくなった 2、小さくなった

問題9

日新館には天文師範と呼ばれる講師がいました。さて、日新館初代天文師範は誰?

1、片桐嘉保(かたぎりよしやす) 2、四条清延(しじょうせいえん) 3、片桐嘉矜(かたぎりかきん) 4、片桐嘉信(かたぎりよしのぶ)

問題10

日新館天文台跡を修復し、現在の形にしたのは裏磐梯緑化開発の父と呼ばれる遠藤現夢です。さて、その遠藤現夢が携わった事業は何?

1、鶴ヶ城の桜(ソメイヨシノ)植樹 2、會津藩校日新館の復元 3、鶴ヶ城の再建 4、会津中学校の設立

カルトクイズ(解答解説編)

問題1

この度、栄えある日本天文遺産第1号に認定された「日新館天文台跡」がある場所は何処?

【解答】2、米代1丁目

【解説】日新館天文台跡だから、1の日新町と勘違いする方も多いかもしれません。日新町の名前はこの地区に存在する日新小学校から来ています。ただ偶然にも、日新小学校と日新館の名称は共に中国故事「日々新而又日新」からとったものなので、知らない方にしてみれば間違えても仕方ない問題でした。なお、3の山鹿町と日新館天文台跡は、ほぼ隣接している状態なので地理に詳しい方は逆に間違えやすかったかもしれません。4の河東町にあるのは、復元施設會津藩校日新館のある場所になります。

問題2

日新館天文台跡は昔、ある施設の一部として作られた天文台の遺構です。さて、そのある施設とは何でしょう?

【解答】1、日新館

【解説】日新館天文台跡と言っているのだから、日新館を選んでいただければ良かったサービス問題でした。2の稽古堂は1803年完成の日新館よりも更に前の1664年に造られた民間の学問所(1685年閉鎖)で、武士や庶民の身分に関係なく学ぶことができたと云われています。

問題3

日本天文遺産第1号には日新館天文台跡の他に国宝指定の日記が選ばれました。その日記とは何でしょう?

【解答】1、明月記

【解説】鎌倉時代の公家である藤原定家の日記「明月記」には、望遠鏡発明前に観測された超新星のうちの3件が記載されているほか、日食や月食、オーロラなどの天文現象についての記載があり、天文学の専門的な文献資料ではないものの、天文現象の古記録としてきわめて重要な意義を持つところから、日新館天文台跡と一緒に日本天文遺産第1号に認定されました。

問題4

日新館天文台跡には現在、ご神体の無い祠が建っています。この祠に祀られていた神様は何でしょう?

【解答】3、妙見菩薩

【解説】天文台跡の祠は、昭和10年2月に土地の所有者だった遠藤義之助によって建てられました。現在、ご神体は行方不明ですが、建立時は北極星若しくは北斗七星の化身である妙見菩薩が祀られていました。なお、4の建御名方神(タケミナカタノカミ)は会津若松諏方神社の御祭神です。

問題5

会津若松には大日本地図の作成で有名な伊能忠敬が訪れ、天体観測を行っています。さて、その時伊能忠敬が天体観測を行った場所は何処でしょう?

【解答】4、菊池さん宅

【解説】伊能忠敬が会津を訪れたのは1802年6月の事。日新館および日新館天文台が完成したのは1803年ですので、時間軸から見ても日新館天文台で天体観測はできません。天体観測は七日町にあった菊池伝十郎宅にて行われました。

問題6

日新館天文台では、ある天体観測器具を用いて天体観測を行った記録が残っています。その、記録にある天体観測器具とは何でしょう?

【解答】4、圭表儀

【解説】日新館志巻之二には「立表測景」の文字と圭表儀と思われる図が描かれています。「立表測景」とは、圭表儀の表を立て、表の影を測定することで太陽の南中高度を求めたという意味です。太陽の南中高度を日々測定することで、暦づくりには欠かせない冬至を確認していました。なお、3の象限儀とは天体高度を測定する観測器具です。

問題7

日新館天文台で観測が行われた記録はありませんが、日新館天文台が使われていた1853年にとても珍しい天文現象が発生したと大正時代編纂の会津年表に記録されています。その天文現象とは何でしょう?

【解答】3、彗星

【解説】嘉永6年(1853年)7月13日から24日にかけて見えたこの彗星は、クリンケルフューズ彗星と名付けられている彗星です。近世日本天文学史によれば、武江年表や間家測記にも観測記録が残されているとのことです。彗星は古代から不吉の前兆と考えられていました。この彗星が現れた1853年は浦賀にペリー率いるアメリカの黒船が来航した年であり、一般的にはこの年以降から戊辰戦争(1869年)までを幕末と呼んでいます。会津にとっては正に不吉を呼び込んだ天文現象でした。

問題8

日新館天文台跡は明治30年頃から昭和初期にかけて修復が行われ現在に至っています。この修復により、日新館天文台はどのように変わりましたか?

【解答】2、小さくなった

【解説】建設されたばかりの天文台は基底22m余、台上方10m、高さ6.5mの正方形でした。現在は、北半分が削られ基底8×16m、台上方5×10mの長方形になっています。なお、現在のこの数値は昭和17年に行った歩測による大略のものなので、正確な測量数値でありません。

問題9

日新館には天文師範と呼ばれる講師がいました。さて、日新館初代天文師範は誰?

【解答】3、片桐嘉矜(かたぎりかきん)

【解説】選択肢の方々の略歴は以下の通りです。

片桐嘉保(1717~1790):藩命により江戸で天文学・暦学・易を学び会津に帰藩し藩士に伝授したと伝えられている。片桐嘉矜(かたぎりかきん)の父。

四条清延(1720~1802):片桐嘉保の弟。兄の片桐嘉保より関流(和算)を学び、藩の算師を務めた。

片桐嘉矜(1753~1820):父の片桐嘉保より天文・和算を学び、日新館の初代天文師範を務めた。

片桐嘉信:現在の片桐家当主

問題10

日新館天文台跡を修復し、現在の形にしたのは裏磐梯緑化開発の父と呼ばれる遠藤現夢です。さて、その遠藤現夢が携わった事業は何?

【解答】1、鶴ヶ城の桜(ソメイヨシノ)植樹

【解説】明治41年6月に歩兵第六五連隊が若松に新設されると、遠藤現夢は連隊設置記念に鶴ヶ城跡と連隊営門前一帯に桜1000本を仲間と共に植樹しました。藩政時代の鶴ヶ城には桜が殆どなかったというから、現在の鶴ヶ城の桜はこの時の桜苗です。