日新館天文台跡

概要

日新館天文台跡は、戊辰戦争で焼失した藩校日新館の施設で、今に残る唯一の遺構です。天文台を所有する藩校は数が少なく、もともと極めて珍しい施設でした。加えて江戸時代に造られ、今も現存する天文台跡は、この日新館天文台跡しかないところから、2019年3月に日本天文遺産に認定されました。

当時の天文台は観台とも呼ばれ、基底22m余、台上方10m、高さ6.5mの大きな施設でした。しかし現在は、戊辰戦争後から明治30年頃にかけて北側約半分が風化により浸食されてしまい、当時と比較するとやや小ぶりの史跡となっています。周囲の石垣はその後の昭和にかけて、この地を購入した遠藤現夢(本名:十次郎)によって、浸食防止を目的に積まれました。昭和10年には、現夢の長男である遠藤義之助によって妙見祠が建立され、現在に至っています。


日新館天文台の役割

(1)天文学教授の場

 日新館では天文学教授の為に、天文台が設置された他、天球儀や地球儀などが置かれていました。学ぶものは少なかったものの、特殊専門教科であったこともあり優秀な人材しか入学はできなかったと言われています。

(2)翌年の天候を占う儀礼の場

 会津では冬至の日に翌年の天候を占い、藩に提出する儀礼が行われておりました。儀礼には、日新館で天文を教える「天文師範」、諏方(すわ)神社の「神官」、日新館の責任者「学校奉行」が参加したと言われています。

(3)冬至の確認に行われた天体観測の場

 天文台には圭表儀という天体観測機器が設置されていました。圭表儀は太陽の南中高度を求める観測機器であることから、暦の節目となる冬至の日を確認していたのではないかと思われます。圭表儀については、下記の「天文台の観測道具」をご覧ください。




天文台と妙見祠

天文台跡を守り続けた妙見祠

 天文台跡の祠は、昭和10年2月に土地の所有者である遠藤義之助によって建立されたものです。現在、ご神体は行方不明ですが、建立時は北極星若しくは北斗七星の化身である妙見菩薩が祀られていました。

 遠藤義之助の父は、裏磐梯緑化の父と呼ばれる遠藤現夢(本名:十次郎)です。長男である義之助に対して現夢は「(會津藩校)日新館を忘れるな」と教え育ててきており、現夢が昭和9年12月に鬼籍に入った3か月後に祠が建立されている事から、この祠が建てられたのは天文台跡に妙見菩薩を祀ることで、風化や取り壊しを防ぐ現夢親子の知恵ではなかったかと思われます。【写真】遠藤現夢(左)と義之助(右)

天文台の観測道具

圭表儀

天文台というと望遠鏡を真っ先に思い浮かぶことと思います。しかし、残念ながら現時点で望遠鏡が天文台で使われたという記録は発見されておりません。代わりに、「圭表儀」と呼ばれる天体観測器具の存在が確認されています。

圭表儀は、「表」と呼ばれる垂直に立った棒と「圭」と呼ばれる水平に伸びた木材とで構成され、「表」の最上部に位置する横棒の影を「圭」に投影し、「表」からの距離を測定します。この距離が一年で最も長くなった日が「冬至」であり、最も短くなった日が「夏至」になります。旧暦では冬至を基準に新年の始まりを示す「立春」を決めていました。このため、圭表儀を使って冬至を知ることは暦づくりに欠かせない作業だったのです。

※日新館の記録には、「表」の存在のみが残っています。圭表儀は雨に濡れないように、観測の時だけ天文台に設置されたと考えられます。天文台にあった実物は戊辰戦争時に焼失したと考えられ、現在は残っておりません。写真の圭表儀は、これまでの調査を基に私共が会津藩の圭表儀を再現した模型です。

※再現模型の現物は、河東町にある「會津藩校日新館」内に展示中

ちょっと一言 ~よくある誤解~

圭表儀は暦づくりに欠かせない器具ですが、日新館天文台での観測で暦(会津暦)が作られたわけではありません。

日新館天文台が出来た1803年当時は既に、江戸幕府は暦づくりを各藩が勝手に行うことを禁じていました。日新館天文台の圭表儀は、暦づくりというよりも暦の仕組みを知る教育目的の道具であったと考えられます。

天文台年表

日新館天文台跡の略歴

1740年(元文5年) 会津藩士片桐嘉保(片桐嘉衿の父)が藩命で江戸に遊学 天文学・暦学・易学を学ぶ

1753年(宝暦3年) 片桐嘉衿(會津藩校日新館初代天文師範)生誕

1798年(寛政10年) 会津藩家老・田中玄宰の進言により會津藩校日新館の建設が計画される

1803年(享和3年) 會津藩校日新館完成 天文台も同時期に完成したと考えられている

1823年(文政5年)  ”表”の図が描かれている天文台を紹介した日新館志が吉村寛泰によって完成

1868年(慶応4年)1月3日 京都で起きた鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が始まる

1868年(慶応4年)8月23日 会津戦争(戊辰戦争)により、會津藩校日新館が焼失

1897年(明治30年)頃~昭和初期 当時所有者の遠藤十次郎(遠藤現夢)によって日新館天文台跡が現在の形に修復

1934年(昭和9年)12月6日 遠藤十次郎死去

1935年(昭和10年)2月 遠藤義之介(遠藤十次郎の長男)の手により天文台跡に妙見祠が建立

1968年(昭和43年)9月18日 会津若松市史跡指定

2019年(平成31年)1月26日 日本天文遺産認定